カテゴリー別アーカイブ: レビュー

美術や書籍などの感想・考察

運慶展

東京国立博物館で開催されている「運慶展」を観てきた。

如来像より、四天王像の方が、それよりさらに実在人物をモデルにした像の方が、実在感が強くより面白かった。
いわゆる「仏像」と聞いて思い浮かべる大日如来や観音菩薩は、どれも穏やかな表情として彫り出されているために面白みに欠ける。それよりも四天王像の方が、表情にもポーズにも動きがあって楽しめる。
もっと知識があれば、如来像も微妙な表現の違いを理解できて楽しめるようになるのかもしれないとは思った。

白眉は無著像だった。
顳顬や手の甲に浮き出た血管まで繊細に掘り出されていて、嘆息するほど見事な技が感じられると同時に、像全体としてそこに血の通った人間が立っているかような存在感を放っている。相対すれば温かい人柄まで感じられそうな佇まいである。

運慶の父である康慶は、法相宗の祖なる僧侶たちの坐像を彫っている(法相六祖坐像)が、これもまた実に見事に個性的に彫り上げており、ずっと観ていても飽きることがない。人間への深い観察と、慈しみとでも言えそうな関心を汲み取ることができる。

運慶作の無著像・世親像からは、高い技術とともに慈しみに満ちた人間への眼差しをも、師である父親から受け継いだであろうことが感じ取れた。

ミュシャは、芸術か、ポスターか

先日、国立新美術館で開催されている『ミュシャ展』を観た。

ミュシャ展のチケットと作品目録

ミュシャ展はそれなりの頻度であるような気がするけれど、今回の展覧会はいつもと違うらしいと聞いていた。ミュシャといえば小綺麗で洒落たポスター風絵画を思い浮かべる。好きな人は結構多い気がするし、私も嫌いではない。数年前のミュシャ展では気に入った絵のポストカードを何枚か購入した。でも、何度も足を運んで見るようなものでもなく、正直なところ一度見た絵は次は本物じゃなくてもいいよねという感じがする。ミュシャの絵は美しいけれど、強度が足りない、そんな印象。でも今回の展覧会は違うらしい。

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