理由を一言でいってしまえば、綺麗事だからだ。
負けないでもう少し 最後まで走り抜けて
どうして「もう少し」などということが分かるのか。
本当に挫けてしまいそうな人に寄り添ったとき、こんな雑な励まし方はできないだろう。実にいい加減だと感じてしまう。
ただ、歌い手の人柄の良さは感じられ、坂井泉水さんはきっといい人なんだろうとは思う。それが多くの人に支持される理由の一つではあるだろう。「ちょっと落ち込んでいる」くらいのときには、心地よく響くものなのだと思う。
ただ彼女の歌声は、幾分パワーレスだ。がっちり掴んで這い上がれそうだと思わせるほどには、差し伸べてくれた手には頼り甲斐はない。
同じように人を励ます歌であれば、
- ウルフルズ『ええねん』
- 中島みゆき『ファイト!』
- 森山直太朗『生きていることが辛いなら』
などが好きだ。
ウルフルズのこの歌は、バンドメンバーの復帰を祝うもの。親しく付き合ってきた濃い人間関係があってこその言葉が力を持っている。
ひたすら「ええねん」と連呼するのも心強い。励ますのは言葉そのものではない、裏打ちされた人間関係だ。
以前どこかで「『ええねん』は、“Let it be”の優れた日本語訳である」という意見を目にしたことがあるが、言い得て妙だ。“Let it be”と声をかけてくれるのは、mother Mary(聖母マリア)であるが、「ええねん」と言ってくれるは苦楽を分かち合った実在の友であるということなのだ。
中島みゆきは、苦しみのなかにいる者を甘やかさない。
結局のところは自助がなければ、苦しい状況を打開することは叶わない。かと言って、突き放しているわけではない。少し離れたところから響く声は、振り絞る力を後押しする。
諦めてはいない者に対する誠実な態度だと思われる。
苦しみもがいている者に、生半な励ましは無意味どころか逆効果だ。「お前にオレの何が分かる」と。
それを理解しつつも、苦しむ者に寄り添うためには、何ができるだろうか。森山の放つ「死ねばいい」は、外からかけてあげられるかもしれないぎりぎりの言葉だ。
また、一見すると物議をかもしそうな(実際批判が巻き起こったようだが)言葉遣いは、当事者の苦しみを理解し寄り添おうとせずに、無責任に(「あきらめるな」「がんばれ」などと)綺麗事ばかり投げてくる連中に対する怒りの代弁である。